大分に「双子の火薬製造所」!!

 昭和15年(1940年)1月15日付で陸軍大臣宛に提出された荒尾製造所用地買収に関する造兵廠長官名の許可申請書には、実は荒尾のほかもう1カ所の新設製造所の地名が記されていた。
 場所は「大分縣北海部郡大在村附近」(現在の大分市東部)。その後、荒尾製造所と同じ昭和17年8月1日に開所した、この東京第二陸軍造兵廠坂ノ市製造所は、建設の目的、時系列ともに荒尾製造所と軌を一にした、いわば「双子の製造所」だった。
両製造所建設の目的は第一に、日に日に戦線が拡大する日中戦争(昭和12年―昭和20年)に対応するための火力増強だった。戦争開始前後から、陸軍は大陸に近い九州での火薬製造所新設を計画。九州各地で候補地を探した結果①原料入手のしやすさ②鉄道輸送の利便性③谷間と平地が入り組み誘爆を防ぎやすい地形―などの観点から、最終的に荒尾と大分・坂ノ市の2カ所を用地として選定した。

※ 坂ノ市製造所の総敷地面積は約150万坪でまさに陸軍最大。

(荒尾製造所100万坪の1.5倍:福田一郎記載)

国立公文書館アジア歴史センターの陸軍関係資料:昭和15年:東京第二陸軍造兵廠関係

分かれた火薬の原料

当初、荒尾は三井化学工業からの原料を基にした爆薬、坂ノ市は愛媛県新居浜の住友化学からの硝酸などを原料にした無煙(綿)火薬(発射薬)専用の製造工場として計画されたが、坂ノ市に関しては無煙火薬工程の建設工事が長期化する中、日米開戦に合わせ爆薬(装薬)の安瓦薬製造部門を急きょ新設した経緯がある。
荒尾、坂ノ市両製造所は前身の出張所発足時、関重永大佐が所長を兼任。また建設に当たっては、官舎設計図の共有、技師や幹部の往来・異動、不足しがちだった資材の融通などが頻繁に行われたほか、遅れ気味だった坂ノ市製造所の建設に荒尾から応援部隊が派遣されている。

JR日豊本線大在駅沿いに残る陸軍専用線の門柱

陸軍用地と刻んである標柱(JR日豊本線沿い)

坂ノ市の生産品目

坂ノ市製造所の主な生産品と生産能力(昭和19年)は、無煙火薬月産250t、安瓦薬同250t、硝斗薬同200t。無煙火薬は航空機関砲や高射砲、対戦車砲用、安瓦薬については砲弾、爆弾用で、爆薬を弾体に填実し出荷していた。また、硝斗薬は缶に入れ小型爆破薬として製造され、対戦車肉薄攻撃用に使われたとみられる。終戦時の従業員は2,727人。製造所跡地周辺には、火薬庫や製造工室、用地標柱などの遺構がいくつか現存している。
坂ノ市製造所の関連書籍には、藤井通彦著「幻の巨大火薬工場その実像 東京第二陸軍造兵廠坂ノ市製造所」(2025年、弦書房)がある。


                      なおこのページの文責は坂ノ市二造研究会の藤井通彦氏です。

荒尾製造所と同型の火薬庫