激しくなる空襲・昼夜の火薬製造
昭和19年(1944年)11月に大牟田市に空襲があったのを最初に翌20年6月・7月と荒尾市にも空襲が行われている、荒尾製造所も工場二棟が全焼したが犠牲者は皆無、米軍戦闘機からの機銃掃射による攻撃も数回受けている。
荒尾市内では万田・原万田・四ツ山・大島・昭和・大正地区と壊滅的な被害を受けた。総務省の記録では死者46人・負傷者295人罹災家屋878戸・約9万坪焼失・罹災者4360人と当時の人口の約12%の市民に被害を与えた。 8月12日には平井小学校でも機銃掃射を受けた。
隣りまちの大牟田市では合計5回の空襲を受け、死傷者約3000人・罹災家屋12000戸以上と市内は焼の原と化した。 (総務省記録・大牟田市史・荒尾市史・大牟田の空襲を記録する会等参照)
昭和20年(1945年)になると戦況は悪化し、日本全土への空襲が本格化した。 日本各地は火の海となり、特に都市部・工業都市での空襲はひどく食糧事情も悪化、荒尾製造所も同じく食べ物は枯渇した。
火薬製造もこの頃には昼夜を問わず三交代制で作業に従事、それまでの第一・第二工場地帯に加え新たに第三工場地帯での工場完成を急がせ、出来上がった工場から随時、火薬製造の増産が開始された。(二造会冊子では第三工場地帯の工場は建設中のまま終戦とあるが、すでに稼働していたのが判明、他の倉庫・保管庫等が建設途中だった。)
昭和19年の11月から、陸軍秘匿命令で荒尾製造所(曽根製造所(福岡県)坂ノ市製造所(大分県)を含む)の疎開地として、大分県旧山国村(現中津市山国町)に地下工場を建設、荒尾からも人員270人を派遣、旧鉱山跡のトンネル内部を火薬製造工場に作り変えたり、近郊の山間部に地下工場用トンネルを数か所(延べ700M以上)にわたり掘削、地下トンネルは終戦の日まで掘られいた。山国村に決まった経緯は曽根製造所・荒尾製造所・坂の市製造所の中間地点であり、閉山した鉱山(坑道)があり、鉄道が近くまで通っていた事でした。小倉陸軍造兵廠も日田市へ疎開し、地下工場を市内各所に点在させた。(国立公文書館記録・山国町郷土誌業書・おおいたの戦争遺跡・大分県中津市山国町草本住民方々証言・荒尾二造市民の会発行冊子70年目のよみがえる青春など参照)
下記に掲載している写真は、昭和20年8月10日に大牟田市の三池港近くで拾われた、アメリカ軍飛行機よりバラ捲かれた「ビラ」です。これによりますとアメリカ軍の新型爆弾は日本語で「原子爆弾」と明記してあります。8月6日広島市、8月9日長崎市、このまま戦争が長引けば次は大牟田市だったと、とても考えさせられます。小倉と同様に大牟田市も原爆投下予定地になっていたのでしょうね。
引用は昭和54年発行冊子、荒尾市郷土の歴史講座「野原の庄」第3号、村田国美さん発表より
下記の表は(大牟田の空襲を記録する会)により作成された空襲一覧表です。 赤く枠で囲まれた昭和20年6月18日と7月27日は荒尾市でも同様に夜間、空襲を受けています。
終戦!!
昭和20年(1945年)8月、広島への新型爆弾投下(原子爆弾)の連絡は荒尾製造所の幹部軍人と一部の関係者は知っていた。8月9日長崎にも新型爆弾投下、有明海に面する町や村の人々(荒尾市も含め)は閃光と、立ち昇る原爆雲を見た人が多くいた。(日本空襲に使われた米軍B29爆撃機延べ数は約24000機、投下した焼夷弾や爆弾の量は約156000トン)
ポツダム宣言受託、8月15日、日本国民は玉音放送により終戦を知らされました。昭和6年(1931年)の満州事変から始まった戦争は太平洋戦争へとなり14年間に渡った戦争の時代は終わりました。
戦闘地になった各国々の内外でも多くの国の人々が犠牲になり、死者の数は日本では約300万人、 世界全体ではなんと約8500万人です、その中には戦争が原因の飢餓による死者数も約2000万人(統計は、各出版物により大きな差異があります)といわれます。亡くなったのは人々だけではありません。軍用馬・軍用犬・家畜や野生の動物等たくさんの命あるものが死にました。国々の都市・町や村、歴史的建造物・家屋は焼き払われ、道具や機械なども崩され、生活の場も失われました。この様に戦争はかけがえのない命を奪い大きな犠牲を出します。
※荒尾製造所にも昭和20年の6月18日と7月27日に軽微な空襲がありましたが、被害は材料倉庫がそれぞれで一棟づつの計2棟が焼失しただけで、人的な被害もありません。(国立公文書館、米国戦略爆撃団調査記録より)
このページのリンク先にある総務省記録の「荒尾市における戦災の状況(熊本県)」の中には「荒尾製造所は爆撃により全滅」とありますが、参考文献の「荒尾史話」の記述が古く、間違いを記載してあります。
当会で「国立公文書館、米国戦略爆撃調査団文書及びアジア歴史資料センター防衛省防衛研究所」内の
資料を精査して正確に記載しています。 (荒尾二造市民の会)