広大な敷地の巨大火薬工場

 現在の荒尾市総面積の19分の1を占める100万坪(福岡ドーム50個相当)を旧陸軍が火薬工場用地として昭和14年(1929年)2月買収完了。買収が行われた昭和14年当時の用地は丘陵地が梨園や荒地、平地は田畑や荒地、沼地などで、梨農家は移転をさせられました。また一部の宿舎用地は借地契約もされていました。

ピンク色が荒尾市  オレンジ色線内が火薬工場用地
          他に専用鉄道5195m開通    google地図引用

荒尾製造所主要施設配置図 (2021年5月修正済み)  赤丸は平和資料館                                        荒尾二造市民の会冊子(70年目のよみがえる青春」より 

パソコンでお使いのブラウザの設定よりズーム機能をお使い願います。  

始まった火薬工場の建設

昭和15年(1940年)火薬工場建設の為、陸軍第二造兵廠熊本出張所を設置  写真の後方の建物(バラック平屋建造りの東西2棟の建物から出発)(のち共栄会)昭和15年~17年にかけ、幹線道路、支線道路、循環道路整備、同時に本部建物・病院・官舎・宿舎・学生寮・工場建物、用地整地と進み、次々に工場の主要な建物が建設されました。 
終戦時、工場用地内には建物の総数は500棟以上ありました。      工場建設に携わった人員は、最も多い月で1000人程働いていました。         (工場建設や道路建設には、朝鮮半島出身の人々も多く働いていました。    国立公文書館アジア歴史センター防衛研究所編資料には、昭和15年10月時点で250人が工場建設に従事、同年11月10日には朝鮮半島出身者一人の死亡が明記されています。)

昭和15年東京第二陸軍造兵廠熊本出張所での集合写真(松山光子さん提供)