黄色薬・茶褐薬・茗亜薬(白薬)の生産

 昭和18年(1943年)火薬工場が本格稼働、黄色薬(キイロヤク)同年11月より産出、茶褐薬(チャカツヤク)19年10月より産出、 茗亜薬(ミョウアヤク)又は(白薬)20年6月より産出、ピーク時は全国生産量の30%を荒尾工場で製造した。


     (火薬の呼称は当時の呼び名を記入 PICKUPページも参照してください)


              クロベン工場跡(クロールベンゼン)(長南久太さん撮影)

東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所 平和資料館

第二次世界大戦時、国内最大規模で敷地面積100万坪を有した旧陸軍の火薬工場がここ荒尾市にあった。 「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」通称を荒尾二造(あらおにぞう)と呼び、学徒を含む3000人弱の男女が働き、火薬・炸薬( 爆薬)類を製造、 陸軍小倉造兵廠(現北九州市)で砲弾や爆弾、地雷となり戦地へと送られた。 私達は荒尾二造の調査・記録・保存活動・啓発活動を通じて平和の大切さを伝えています。