なぜ火薬工場用地に選ばれた??

 それは石炭と重化学工場郡のある大牟田市と隣接地であり、荒尾も石炭の産地であった事。

北九州~大牟田・荒尾・鹿児島へ縦断する旧国鉄鹿児島本線の鉄道が通っている事

 日露戦争で威力を発揮した「下瀬火薬」(下瀬雅允は旧日本海軍技官)は原料が石炭酸から作られるピクリン酸を成分とする火薬です。当時の日本は欧米諸国から輸入制限を受け 極度の石油不足、その為自国の 石炭を乾留してコークスを作る際に副生する石炭酸、ベンゼン、トルエンが火薬原料に用いられました。

 当時の鹿児島本線は単線でしたが、荒尾駅(旧万田駅)には当時、10本近い線路が敷かれています。 荒尾駅は三井三池専用線(三池港と万田坑~宮原坑などを結ぶ)と交差する為、鉄道輸送には重要な拠点の役割をしていました。

戦時中の軍需工場では鉄道輸送が欠かせなく、全国の工場や主要港へ鉄道網を整備しています  荒尾製造所も例外に漏れず旧万田駅から火薬工場中心地まで長さ5195Mの鉄道が敷かれました。この頃旧万田駅を中心に東西南北と線路が張巡らされていました。


   (大牟田市石炭産業科学館所蔵)


東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所 平和資料館

第二次世界大戦時、国内最大規模で敷地面積100万坪を有した旧陸軍の火薬工場がここ荒尾市にあった。 「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」通称を荒尾二造(あらおにぞう)と呼び、学徒を含む3000人弱の男女が働き、火薬・炸薬( 爆薬)類を製造、 陸軍小倉造兵廠(現北九州市)で砲弾や爆弾、地雷となり戦地へと送られた。 私達は荒尾二造の調査・記録・保存活動・啓発活動を通じて平和の大切さを伝えています。